劇場版「傷物語」を久々に観返したのでメモしておく
はじめまして。
タイトルの通りです。
ただの記録なので見やすさ読みやすさ無視の走り書きです。
これは、阿良々木暦の
「自分勝手な自己保身のための自己犠牲」
の話。
阿良々木はお人好しで人助けをするのではない。すべては自分のためである。
責任を負いたくないから決断ができない。助けないという判断を下すことができない。
誰かを犠牲に、見殺しにしたという事実が今後一生付きまとうくらいなら、自己犠牲に”逃げる”。
この話の中では「今後一生」といった表現がよく出てくる。それ自体はよく使われる表現だが、吸血鬼を前にしたとき、この言葉の重みは計り知れないものとなる。
そして、最後に阿良々木は「自己保身ための自己犠牲」から生じた問題に対する清算を迫られる。
傷物語における二人のヒロイン、キスショットと羽川翼も自己犠牲を受け入れる。キスショットは「死」を、羽川は「性的な行為」を。
阿良々木のために。
阿良々木は羽川の自己犠牲から逃げた。なぜなら、阿良々木の行動原理はあくまで自己保身であるから。羽川に対する行為の責任をとれないから。
しかし、キスショットのときはそうはいかない。
決断して彼女を殺すか、決断せず数多くの無関係な人間を見殺しにするか選ばなければいけない。自己犠牲に対する責任をとらなければならない。
「出てこい。忍野メメ。」「なんとかしてくれ。」ここでも阿良々木は逃げようとする。
「自分の問題だろ。」忍野はそれを良しとしない。
結局、阿良々木は自身もキスショットも不幸にすることを選んだ。
自己保身のために、自分とキスショットの願いを犠牲にしてキスショットの命を助けた。自分勝手な自己犠牲。
この物語は、阿良々木の「自分勝手な自己保身のための自己犠牲」で始まって「自分勝手な自己保身のための自己犠牲」で終わり、バットエンドで幕を閉じる。
しかし、阿良々木は「今後一生」キスショットに対して責任をとることになるだろう。今回はあくまで責任を保留したに過ぎないのだから。
今回のまとめ
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チェンソーマンを読み返していたときに、最後の殴り合いシーンが阿良々木とキスショットの殴り合いシーンじゃんって思って観返したくなった。
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チェンソーマンもいずれ何か書いてみたいな。2部の前に何か。
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シャフトつながりでまどマギも観たい。映画もやるらしいしね。