hisui_tsuyuyuの日記

いろいろ感想とか積むだけ ほぼ自分用

「ルックバック」の内容が一部修正されたらしいので何か書きたいなと思いました

はじめまして。

タイトルの通りです。

 

 

まず大前提として

私は今回の修正によって「ルックバック」という作品の主題が損なわれることはないと考えています。

 

この作品の最も大きなメッセージは「創作物の意義」と「藤野(藤本タツキ)にとって漫画を描くこととは」という部分で、京アニ事件を思わせる描写はあくまでエッセンスの部分にすぎません。

このことは、作中で犯人の掘り下げがほとんど皆無だったこと、話の中で”起こってしまった理不尽”それ以上の描写もそれ以下の描写もないことからもわかると思います。

 

世の中いろいろ理不尽なことがあるし、漫画でそのすべてを癒し正すことなんてできるわけないけど、それでも何か変えられると信じて描き続けるよ。

物語を通して藤本先生にそう言われた気がしました。

だから「ルックバック」では過去にタイムリープして未来を変えることはできないし、それでも藤野は最後に立ち上がって歩き出すわけです。

 

ただ、それでも藤本先生がある程度批判が予想される中でこの京アニ事件を取り扱ったのは、やはり藤本先生のなかであの事件が大きなものだったということでしょう。藤本先生は以前からインタビュー等で京アニ作品のファンであることをおっしゃっていましたし。

この作品がここまで話題になったのも、この部分が共感を呼んだというところも大きかったと思います。

 

 

創作物の意義って?

今回の修正において配慮されたのは、おそらく具体的な京アニ事件というよりは精神病患者の描き方という部分でしょう。

私自身が読んだときはそのようなことは感じなかったし、問題になってからも、かなり舞台装置的な描かれ方をされていて現実の患者に結び付けられることはないんじゃないかと感じています。

ただ、私は精神病に理解がある立場では到底ありませんので、これはあくまで藤本タツキファンの偏見が入った意見という域を出ることはないと思います。

 

しかし、今回一部の読者の声で創作物に変更が加えられたのは事実です。

「ルックバック」の場合は主題から大きく外れることがないため修正されたのかもしれませんが、今後このような事例が増えて漫画、映画、アニメなどの表現が狭まってしまうのは寂しいです。

 

「ルックバック」も、公開後すぐに京アニ事件を扱ったことが波乱を呼んでいました。

私は、実際の事件を創作の中で扱い問い直すということは、とても重要、というか創作作品の中でしかできないようなこともあると思っています。ドキュメンタリーとはまた違った視点で見つめなおすというのは創作ならではでしょう。

 

では、何をやってもいいかと言われると、それはもちろん違うと断言します。「ルックバック」でも、京アニ事件を扱うには時期が早すぎるという意見は相応の説得力があったと思います。

 

 

[悲報]着地点が見つからない

どうしよう。

とにかく一番言いたいことは、こういった創作の両面を理解したうえで、創作を肯定する側も、批判する側も、もちろん世に出す側ももっと冷静になろうよってことです。

「ルックバック」のSNSでの広まり方を見ていてものすごくそれを感じました。

 

物語を深読みしすぎず、裏のメッセージにこだわりすぎず、もっと正面から受け止めようよ。藤本先生がこんなにも真っ直ぐな作品を世に出してくれたんだから。

私たちの「ルックバック」はこれくらいの変更で凡作になんてなったりしない!むしろもう一度冷静に読み返す機会をくれてありがとう!!

 

今回のまとめ

  • ルックバックをもう一度読もう。チェンソーマンを読もう。ファイアパンチも読もう。

  • っていうか藤本タツキ短編全集いつ出ます?何としてでも手に入れるんだけど。

  • 実際の事件を取り上げたってなると「輪るピングドラム」を思い出しますよね。チェンソーマンも影響受けてそうだし。あのアニメも考察しがいあるしいつか書く日が来るかも。

  • こうして文章にしてると観たい作品いっぱい出てきて幸せハッピー

 

そんな感じです。私はもう一度ルックバックしてきます。

 

 

おわり。